クヨクヨマンと切り替え君。

悩みごとがあるとき、みんなはどうやって気持ちを切り替えているんだろう?

 

と最近よく考えます。

 

人生(と言えるほど生きていないかもしれないけども)山あり谷ありとはまさにその通りで、

幸せなときもあれば、

辛いこと、泣きくなるようなこと、ときには全てを投げ出してしまいたくなるようなこと…

 

そんな経験もあるかと思います。

 

そういうときに、

どう心を切り替えて、

どう行動するか

によって伴う結果にも天と地の差が生まれるわけですが。

 

はて。みんなはどうしているのだろう?

 

特にもう「何もかも投げ出したい」みたいな心境のときって、いくら外野にポジティブなこと言われても、はたまた自分自身でプラスに考えようとしても、

「綺麗事じゃん」

みたいなふてくされた感情が少なからず心の中に芽生えたり、見え隠れしたりすると思うのです。

 

 

私が最近考えたのは

 

「でも悩めることがあるって幸せだな」

 

という切り替え方なんだけど、これだって捉える人によってはもろ

「綺麗事」の域ですよね。笑

 

ちなみに【悩めること=幸せ】っていう考えに至った経緯は、

 

世の中には明日自分の人生がどうなるかの検討もつかない、住むところも食べ物もない、そんな環境で悩んでる場合じゃなく、一刻も早く決断を迫られたり、場合によっては自分の下した決断によってかなりのリスクが伴う。

でも今瞬時に判断しないことによってもっと危険な目に遭う可能性も高まる。

 

そんな環境で過ごしている人がいっぱいる中で、「悩む」という行為は、ある程度人生に余裕がある人のみ行うことのできる特権だと感じたからです。

 

瞬時に「考える」ことはあっても、「悩む」ことが許されない状況で生きる人たち。

または、国の統制下にあって考えたり疑ったり、という行為すら禁じられている人たち。

 

彼らから見たとき、今自分が考えを巡らせたり、悩んでいることってどう見えるんだろう?と考えたとき、ふと

「あぁ、悩めるって幸せなことなんだ」

と思ったわけです。

 

 

 

だからといってこの考え方が直接的な解決方法に必ずしも結びつかないということも、重々承知です。

 

しかし、最近この考え方を取り入れてみたところ、

「こんな考えることばっかでストレス!もうっ!最低最悪!」←

みたいな余計なnegativityからは、少し開放された気がします。笑

 

 

綺麗事にいらっとくることもあれば、

視点を変えて救われることもある、

そんな感じで…💭💭💭

 

 

 

Peace!

 

 

 

 

 

イギリス マンチェスターで感じたことを振り返る 【vol. 1】

最近「対人コミュニケーション」について考えることが多いため、それ関連の内容を一つ。

 

イギリスマンチェスターに到着して20日が経過した日にあれこれ感じて、自分なりに考えて、某SNSに投稿していた「超」ド級のロング記事をリポストしたいと思います。

 

 

注:ありあまる活字と想いに吐き気を催す恐れがあります。

 

 

【以下、一年前の自分のポストを引用↓】

 

こちら(イギリス・マンチェスター大学)の教授は、政治的なこと、社会的なことに対して自分の意見をバンバン言います。表立ってあからさまなことを言わないにしても自分のカラーをちらっ、ちらっ、と授業内で見せてくるので先生自身がどっちのサイドに立っているのかが結構はっきりわかる。

 

日本では教授は政治的なことに対してニュートラルでいなければいけないのが普通だし(たまに例外な方もいらっしゃる、笑)、日本の大学生活でそれにすっかり慣れていただけに最初ビックリしたけど…私ね、結構これ好きです。
はっきりしていてわかりやすい。先生も人間なんだな、みたいな感情になる。←誰目線

 

そして自分と相手の意見が違っても全然オッケー。先生とのディベートもウェルカム。

 

ディベート=喧嘩じゃないんだよね。

 

これはアメリカでも感じたんだけど、クラスでdiscussionがヒートアップして見ているこっちはアワアワしてたのに、授業後普通にその人たちが仲良く話してたり、「違う意見の人がいるから面白い」っていう環境がわりと(あくまでいつもではない&全員がこの考えではない。ここ重要)あたりまえに共有されている。私は、個人的にはそんなオープンな考え方が好きだし、居心地がいいな、と感じます。


そしていま、そのことをフランスとイギリスのハーフというルーツを持つルームメイトと話していて、そういう場であくまでも「自分の国を代表して話さないと」っていう考え方をしなくてもいいんだよね。って話に落ち着きました。


同じ国の中でもいろんな考えを持った人がいて、様々な環境で育ってきた人がいる。全員がその国の現在の方針に忠誠を誓って生きているわけじゃないから。


分かりやすい例でいうと、アメリカ人でもトランプ派の人、彼に反対の人、彼のこの方針には賛成だけどここには反対っていう人、色々いますよね。彼らが全てのイシューにおいて同じ意見を共有しているかと言ったらそんなわけないじゃない!ってことです。

 

大切なのは、どれだけその人自身がその人の頭で、心から考えたうえでその言葉を発しているかということ。

日本人で難民の問題に興味があるけど自分の国は難民に厳しい国だからこのことに関して意見を言うのが少し恥ずかしいな(鋭い人たちに突っ込まれたらどうしよう)…とか思う必要は全くないということです。

そして、学生がみんな比較的政治関連のニュースや社会的な話題に精通していて、一般常識レベルの会話はほぼみんなできる(政治学の専攻でないとしても)ことにもいつも圧倒されます。私のルームメイトも、政治の話もできるけど専攻は生物学。自分がこの子と同じ歳(18歳)の時、政治や社会学の話題に全く無関心で、自分の国で起こっていることにも関心がまるでなく、いかに無知でうすっぺらな人間だったかをいつも思い知らされるのです。笑

 

そして、先生が自分の意見を言うことに対して大手を振って賛成かというとそういうわけでもなくて…
日本のように「教授はニュートラルを貫き通して、学生自身に考えさせる」という方針は、私自身とても素晴らしいと思っています。

ただ、学生自身に考えようという意欲がない場合、そのまま何も考えずにいても授業はやり過ごせてしまうというのも事実。

社会の中で「何も考えない」ことほど危険なことはないな、というのは自分自身の経験を通して痛いほど学んできたので、その点に少々懸念があるのです。

でも、話し合いの場というのはクラスだけじゃないし、家庭や友達間で話している中で自分の考えや意見が形成されていく場合もあるので、一概には言えないのだけどね。要は練習しないと意見を言うって難しいんじゃないかな?ということ。

 

「こんなこと言って他人に受け入れられなかったらどうしよう…?」

 

とか、頭で考えているうちに何も言えずに終わってしまった…とか。。私はそういうことが結構あります(親しい人には心の窓を全開に出来るけども)。

教授が意見をバシッと表現するってかなりインパクトがあるし、stimulate されるというか。それに対して何か違和感を感じたり、共感するといったところから自分の頭で考えはじめたり、リサーチを始める生徒もいるかもしれないな、と思いました。

そして、教授自らが率先して意見を言う姿勢を生徒に見せることで、自分もあんな風に意見を言っていいんだ、ディスカッションって面白いんだ、みたいなお手本的存在にもなっているのかもしれないな、とも感じました。あくまでも留学生の、そして私個人の視点であって、現地の人が実際それを意識しているかは謎。今度聞いてみようかな?

 

どちらの場合でも、最終的には「教授の手腕+生徒の意欲のマリアージュ(笑)」にかかってくるというのが結論になってしまうかもしれませんが。
でもこんな違い一つとっても面白いな~!
こういう違いを客観視して、「人間って…」みたいなことをぼんやり考えているとあっという間に時間がたってしまうので要注意。

 

Peace!

 

 

 

…ここまで根気強く読んでくださった方、ありがとうございます。

教授が自分のカラーをバンバン出してくる、イギリスマンチェスター大学での日常の一コマでした。

 

 

Starting of Something New ☺ ~Blog始めます~

2018年も終盤に近付いてまいりました。

 

10月に誕生日を迎える私が、何かやり残したことはないか、と考えた結果真っ先に頭に浮かんだこと、それがずっとやりたいと思ってはいたものの、なかなか行動に移せなかった

 

「ブログを書く」

 

という行為でした。

 

普段から私のSNSをフォローしている方々はもしかしたらお気づきかも知れませんが、何を隠そう、私は文章を書くことが好きなのです。

何の色もついていない「文字」や「文章」を通して、誰に何をどう伝えられるのか。

文字たちの秘めた無限の可能性について考えているとき、無性にわくわくします。

そんな感じで、本を読むことも大好きです。

 

普段からあれこれ頭の中を稼働させていろーんなことに考えを巡らせる性分のため、定期的にアウトプットの場を設けることが必要だということは、日頃から薄々感じておりました。

そんな私が今まで自分の思いがあふれた時にしていた行為をざっと振り返ると、

 

・某写真投稿SNSに文字制限を突破するほどの論文を書きこんでしまったり、

・某青色の【元祖何でも屋】的なSNSで、何度も「続きを読む」をタップしなければ終わりが見えないほどの記事を書きこんでしまったり…

 

SNSの使い分け下手くそか」と自分でも心の中で突っ込むくらい、とにかくありったけの想いを文章に詰め込んでは、人々の左脳に混乱を招いてきました。

 

 

そんな中、最近「物を書く」という行為をもっと突き詰めていきたい、と思うようになったこともあり、ついに念願のブログを開設してみました。

はっきり言って自己満の世界です。

 

先程「文章を書くことが好き」と述べましたが、

 

「想いを文字にして書き残す行為が好き」

 

と言った方が私の本来の感覚に近いかも知れません(どっちでもいい)。

 

 

これは、私の個人的な経験から、話す時よりも、書く時の方がよりじっくりと時間をかけて、注意深く発信できる気がするからかもしれません。

これには個人差があると思いますが…

 

瞬時な判断やレスポンスが求められるListeningやSpeakingよりも、確実に思考を巡らせながら判断ができるReadingやWritingといった感じで、

「読む・書く」という行為を通して、同じ内容でも理解がより深まりやすいというのが個人的な感覚です。

 

 

とはいえ、色々意識しすぎて変に気張った文章を書くことが目標ではないので…

ここには日常生活でのふとした気付きや想い、見過ごしたくない何かに出会ったときの感情、忘れたくない経験、はたまた読書感想文や留学体験記などなどバラエティに富んだ内容を気軽に投稿していこうかな、と思います。

 

内容は、一言で終わるときもあれば、長文読解のような日もあるかもしれません。

 

気が向いた時にでも読んでいただけると励みになります。

そんでふと会ったときにでも感想を言ってくれたりすると愛を感じます。

 

 

と、まぁこんな感じで(思ったより長くなっちゃった)第一回目の投稿を終わります。

 

 

Peace!