Blackface controversy continuously seen in a Cartoon by the Japanese creator on Instagram.

本当は前回に引き続き、エコプロの参加記録を載せたかったのだけど、ちょっと気になる場面に出くわしたので今回はそれについて書きます。

 

先ほど、インスタでかなーりcontroversial(人によっては議論の余地は「ない」と感じるレベル)な漫画を投稿している方を見かけました。
女性が友達に「あなた地味だからイメチェンしよう」と言われて服装なりメイクなりを受け身に変えられていく…結果度を越したイメチェンがその女性を「黒人の男性」に変えてしまうというオチでした。
そしてまさかの、ハッシュタグには「驚きの黒さ」の文字。

 

コメント欄でかなりの数のユーザーが、

「これは一部の人たちから差別的に捉えられかねない内容ではないか」

と言う旨の発言をしている中、

「自分たちは驚きの黄色さって言われても気にならない」とか

「じゃあヤマンバギャルを書くことも人種差別?」

と発言しているユーザーがいることに、正直かなりの衝撃を受けました。
そもそもこういう発言に関しては、歴史的な背景が全く違うので同じ土俵に乗せること自体が筋違いと言うか…(私は驚きの黄色さとか言われたらさすがに違和感感じますが…😅ヤマンバギャルに関しては「え?」っと固まってしまいました)。

 

この手の話題はセンシティブな問題であって、確か日本でも新年早々かなり議論を呼んでいたはず。。
「こんなのでいちいち色々言われてたら表現の自由がない」とか「生きづらい世の中」とかいう発言も見受けられました。

…完全に表現の自由を履き違えています。

 

人種に関わることに限らず共通して言えることですが、それをされたり見たりした側が嫌な気持ち、不快な気持ちになる以上、それはすでに存在する「差別」というfactなのではないでしょうか?
それを、「こんなの差別のうちに全然入らない。ユーモアのセンスがない」などと断言している人は、果たしていじめられている側がいじめだと感じている場面に遭遇しても「こんなのいじめのうちに入らない。お遊びの一つだよ」などと発言するのでしょうか?

 

確かに国によって詳しく重点的に学ぶ歴史の箇所はかなり異なるし、人が何かを知らないという事実は、一概にその人自身の責任にだけ起因できない部分も(少なからず)あると私は思います。

ただ、一回目はまだ「知らなかった」としても、

その時に「じゃあ何が問題なんだろう?自分は何を具体的に知らないんだろう?」と考えて自発的に学べば同じ間違いをこうも繰り返さなくて済むはず。

そして同時に、少なからず不特定多数の誰かに向かって何かを発信している人たちは、そうした事情にもっと敏感でいなければいけないのではないか…?とも感じました。

 

一部の内輪ネタで「面白い」と捉えられるようなことであっても、その他のどこかの人を平気で嫌な気持ちにさせたり、傷つけてしまう危険性を孕んでいるかも知れない。

そんなことを頭の片隅に置いて発信するだけでも違うのかもしれません。

 

特にこういったセンシティブな問題に関して、私は「気を付けすぎる」に越したことはないと思います。

 

一度あれほど議論を呼んで問題視されていた事でも、こんなに簡単に繰り返されてしまうのか…と思うと(そしてそれを擁護するようで理にかなっていない意味不明な発言をするユーザーであふれるコメント欄を見ていると)

 

…なんだかね。なんとも言えない悲しい気持ちになるのでした。

 

終わり。