「世界女性デー」に考える ~時代とともに変化する女性らしさと「個」について~
Happy International Women’s Day!
遅くなりましたが、今日は「世界女性デー」です。
世の中、女性であるというだけで世間が作り出す「女性像」や「女性らしさ」を押し付けられることも未だに少なくないですが、今日はそんな「女性」であることで感じる窮屈さも時代とともにずいぶん和らいだな、と思えたポジティブな側面をシェアしたいと考えました。
話は今から約20年前(!)、私の小学校の入学式の日まで遡ります。笑
私が小学校に入学する頃、時代は「女は赤、男は黒」のランドセルを持つことが当たり前とされていました。
もちろん、当時たったの7歳の私はそんなこと知る由もなく…母も昔から私の好みを否定しないたちだったので、私は当時のお気に入りカラーだった紫色にかなり近いと感じた紺色のランドセルの購入を決意しました。
その時のわくわく感は今でも忘れられません。
私にとって、その先6年間使い続けるための大切な買い物でしたし、何より自分のお気に入りの色をこれから毎日使えることがうれしくてたまりませんでした(欲を言えば紫が良かったけど…!)。
ところが入学式の日、登校した私の目に映ったのは真っ赤なランドセルを背負った女の子たち。
紺色のランドセルを背負った女の子は、私だけでした。
母から一応事実として聞かされていたため、あまり驚かず、むしろその時の私の中には
「人と違うこと=特別」
みたいな感情の方が強かったため、特に気になりませんでした(ポジティヴぅ!)。
むしろ、そんなことを気にしたのは周りの方だったようで…
次々と集まる視線、こそこそ話、中には明らかに嫌なことを言ってくる子も。
当時隣の席に座った男の子に
「お前、なんで女なのに紺色なの?」
と聞かれたとき、特に何も考えず
「好きな色だから!あなたも紺色が好き?(その子のも同じような色だった)」
と答えたのを今でもはっきりと覚えています。
そのあと、その子は一瞬驚いたような顔をしましたが特に深掘りもせず、
「そうなんだ!うん、俺のと同じ色だね!」と笑って、普通に接してくれたので、すぐ仲良くなれました(友達ゲット)。
嫌がらせは入学式の日だけにとどまらず、しばらく続き、特に高学年の子から連日嫌なことを言われ続けました。
幼い頃って、何かで目立つとすぐ標的になります。
「世の中では、女の子だと、紺色より赤っていうイメージなんだな」
それが、私が覚えている限り人生で初めて受けた「カルチャーショック」に近いものだったと記憶しています。
今じゃとても考えられませんね!!!
町中にあふれる色とりどりのランドセルを見ていると、「選択肢がたくさんある現代の子たちはなんて幸せなんだろう!」とうらやましく感じることもあります(一方、なぜみんながランドセルを当たり前のように購入しなければならないのか、という疑問も残りますが…)。
これは時代の変化のほんの一例で、しかもすごく小さな例でしかないのですが、一昔前には世間でよく持ち出されていた「女ならこうあるべき」といった幻想や、女性でいることでついて回る様々なしがらみも、昔と比べれば時代と共に少しづつ良い方向に変わってきている(もちろんまだまだ改善の余地はありますが…)と感じるし、これからもこんな風に、どんどん変わっていくんだろうな、と信じています。
そしてその要因の一つに、「理解ある男性」が増えてきていることも起因していると感じています。
「女だから」という言葉で一括りにしない
ありがたいことに、私の周りには
「女性らしさ<その人らしさ」
という考えを本当に当たり前に、自然に持っている、そしてそれを行動に移している男性がたくさんいます。
彼らは人からの目線など気にせず、時には「女性の権利(本来は人間の権利)」のために立ち向かい、抗議し、必要であれば戦います。
私は時に、そういう人たちが実は一番、これからの世の中を変えていける存在かもしれないな、感じます。
弱い立場の人や無名の人が喉をからして声を張り上げてもほとんどの人が耳を貸さない世の中で生きていくとき、彼らのような存在がどれほど心強いことか!
また、「個」を認める、という考えは何も女性だけに限らず様々な場面で当てはまる考えだと思います。
宗教、人種、ジェンダー、性、文化…その他の様々な価値観…
世の中にはこうした違いを受け入れられず、区別し、ひとくくりにして名前を付けることで(そして時にはその括りを「敵」とみなすことで)何かの形に当てはめないと安心できない人たちがたくさんいます。
それが発展して憎悪を生んでしまったり、争いにまでつながる事例もあります。
本当は同じ人間なんてだれ一人存在しないのに!
家族や兄弟姉妹間であっても様々な性格、趣味嗜好があるように、個人を形成する要因って本当にありとあらゆるものが複雑に絡み合っている。
そして、そのうちのどれか一つの要因がその人自身を定義づけるわけじゃない。
だからこそ、今そうしたしがらみにとらわれているありとあらゆる人が、世間が決めた「女性/男性ならこうあるべき」といった考えにとらわれず、一人の人間として前を向いて生きていけるような世の中に少しでも貢献していきたいです。
少し長くなりましたが、今日はこの辺で。